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タンクも大きく安定していて、使いやすいたんくでした。#13;

旅の終わり・・・ドーハの朝日。新ブログに移転します

 翌日、ベルリン・テーゲル空港からカタールのドーハ経由で帰国した。
 ドーハ空港では乗り継ぎ便待ちのため空港内で数時間待ち合わせたが、その朝、滑走路の彼方から太陽が静かに昇ってきた。
 空港がオレンジ色に包まれ、次第に夜が明けてゆく様はまるでドラマのように美しかった。
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 翼の鋭い線、朝日の柔らかい円、それらを包み込む黄金のグラデーション。
 
今も鮮やかに瞼によみがえる。
 
 そして、上空ではしばしの夜間飛行を経て、羽田に降り立った。
今回のドイツ旅行は、ぎっしりと濃密な時間の中で過ごした日々だった。
 
実はこのブログも7年ほど続けてきましたが、フリーバージョンで出来る容量がほぼ満杯になってしまいました。このココログでは同じ人間が2つのブログをするには有料になってしまいます。
 
 それで、気分一新もかねて、新しく別のブログを立ち上げることにしました。長年愛読してくださった皆様、有難うございました。
 続けてご覧いただくには、お手数ですが下記のURLに移動していただくようお願いいたします。
 
     http://blog.goo.ne.jp/gloriosa-jun
 
 タイトルは「新イタリアの誘惑」です。 今後も相変わらずよろしくお願いいたします。
なお、右下の「お気に入りブログ」の欄からも新ブログへ 移行してご覧になれます。

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 第二次世界大戦は、ドイツが連合軍に無条件降伏して終戦を迎えた。その結果ベルリンは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四か国によって分割占領されることになった。

それぞれの占領地域を示した地図が上の図だ。事実上連合国側(白)とソ連側(ピンク)の2地域に分断され、それが国境となった。

チェックポイントチャーリーは、この境界線上に置かれた国境検問所(赤い点の所)。1945年から、ドイツ統一がなされる1990年まで続いた。

 検問所は沢山あったが、外国人、連合国関係者らのための検問所は、こことフリードリッヒシュトラーセ駅との2か所だけだった。

 統一後は検問所は廃止されたが、2000年に小屋が復元され、観光スポットになっている。

 連合軍側からソ連地域側を向いたパネルには、アメリカ軍兵士の写真が、

 逆方向にはソ連兵の写真が掲げられている。二人とも1990年初頭に実際にベルリンに駐留していた兵士だという。

 ここに到着したときは、沢山の観光客が集まっていた。

 そして、‟兵士”たちと一緒の記念写真撮影が始まっていた。

 みんなとても楽しそう。

 この場所にも少し残された壁があった。

 また、崩壊した壁を記念品として削りとる人のパネル写真も。

 この日はベルリン滞在最終日、戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)に行っていないことに気付いて、100番バスに乗って塔に向かった。

 この塔は1864年の対デンマーク戦争、66年の対オーストリア戦争、70~71年の対フランス戦争と、3つの戦争の勝利を記念して1873年に建てられた。これらの戦争での勝利で、プロイセンのドイツ統一が導かれた。

 ただ、最初はもっとブランデンブルク門の近くの共和国広場にあった。それが、ヒトラーの首都改造計画によって、1938年に現在地に移された。

 森鴎外の小説「舞姫」には、ブランデンブルク門の先に記念塔が見えるとの描写があるが、鴎外のベルリン滞在は1887年なので、移転前の塔を表現していることになる。

 直下から見ると、さすがに高い。67m。展望台になっている頂上へは285段の階段を上らねばならないので、今回はパス。

 女神像が日差しを浴びてまぶしく輝いていた。

 そういえば、映画「ベルリンー天使の詩」では、天使ダミアンがこの女神像に腰掛けてベルリンの街を眺めるシーンが印象的に映し出されていた。

 塔が完成した1873年は、岩倉具視や伊藤博文ら明治の新政府中枢を担う主要メンバーがベルリンを訪問している。なので、完成したてのこの記念塔を見ていたものと思われる。

 その使節団を招いて夕食会を催したのが、時の宰相ビスマルク。彼の像も塔のすぐ近くにあった。



































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ドイツの20世紀を写真で振り返る場所「テロのトポグラフィー」・・・ベルリン㉟

 ベルリンの旅も、もう終わりに近づいた。そこで、第二次世界大戦前のナチスの台頭から壁の崩壊に至るまでの現代史を包括的に見ることの出来る場所を訪れた。
 「テトのトポグラフィー」と呼ばれる場所だ。
 ここはナチスの恐怖装置・ゲシュタポと親衛隊(SS)本部が置かれていたところ。
 建物などはすべて解体されて、だだっ広い空き地になっているが、その一角に戦前からのベルリンに起きた出来事をパネル展示したスペースが設けられている。
 その「ベルリンの現代史」をたどってみよう。
 1933年1月30日  ヒトラー政権誕生。ブランデンブルク門で祝賀パレード。
 1933年5月10日  ベーベル広場での焚書
 1936年  ベルリンオリンピック。ヒトラー政権の権威発揚の場となった。
 1939年  第二次世界大戦開始  ヒトラーとムッソリーニ
 1945年  ドイツの敗戦 ソ連軍ベルリン占拠
 1948年  アメリカの空輸作戦
 
 ほとんどの出来事は、この連載の中で触れてきたが、この空輸作戦だけはまだ掲載していなかった。
 これは、第二次世界大戦後分断されたベルリンで起きたことだ。1948年6月、ベルリンの東半分を支配していたソ連が、支配強化を狙って西ベルリン周囲の鉄道、道路などの交通網をすべて封鎖した。
 西ベルリン市民の生活を守るために、連合軍側は残された唯一の輸送手段である飛行機による食料や日用品の運搬作戦を開始した。
 市民の数は220万人。これらの人びとの生活を支えるには、膨大な物資量が必要になる。そこで市内に新しい空港を突貫工事で建設し、ピストン輸送による空輸作戦が1年間にわたって行われた。
 多い日には1日に1398回のフライト、輸送量12940トンに達したという。総合計飛行回数は27万8228回。その70%が暖房用の石炭、20%が食料だった。飛行距離の総合計は地球から太陽にまで届く長さになった。
 こうして、ソ連側の目論見は全面的な敗北を強いられることになった。
 1961年8月  そして壁の建設
 1989年11月  その壁の崩壊
 
こんな形でドイツの20世紀は、激動の世紀だった。
 この場所にはまだ生の壁がそのままで 残されていた。
 
 このように、ベルリンでは日常的に自国が歩んだ歴史を直接肌で感じられるようになっている。
 その姿勢は戦後ドイツで最も偉大な政治家といわれたワイツゼッカー元大統領が、ドイツ敗戦40周年の1985年5月に連邦議会で行った演説に象徴される。
 彼は次のように演説した。
「過去に目を閉ざす者は、結局現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。
 ベーベル広場に刻まれたハイネの言葉とも連動する演説だった。
 今月27日には オバマ・アメリカ大統領が広島を訪れることが決まった。原爆投下という行為を行った当事国の代表が、そこで新たな世界への展望を開く一石を投じることが出来るのかどうか、非常に注目される。
 

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イーストサイドギャラリーは自由実験劇場・・・ベルリン㉞

 前回に続いてもう一回イーストサイドギャラリーを見てみよう。壁の厚さはこんなものだけれど、それが29年も国を2つに分断してきたとは、なかなか実感がわかない。

 壁には個々の歴史とは無関係なイラストも結構あった。これはプレスりー?

 一見ピカソ風イラストも。

 妙にファッショナブルな絵もあった。

 この人誰だっけ?

 とってもメルヘン調。

 かと思えば、死の街を連想させるようなイラストも。

 この絵には「自由へのダンス」とタイトルがついていた。

 こちらも自由へ向かって飛んで行く絵かも。

 飛んでいった先には、こんな自由な街がある!?

 閉じられた壁ではなくて、流れ出るダムの水。

 その水辺で楽しむ市民たち。

 秤を持つのは公平の女神?横にはアインシュタイン、ゲーテ、シラーといずれもドイツの著名人がいる。

 とにかく多種多彩なイラスト劇場だった。





























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イーストサイドギャラリーで「伝説のキッス」を見る・・・ベルリン㉝

 オスト駅から緩い坂を下るとミューレン通りに出る。そこから、次のワルシャワ通り駅近くまでの1.2キロが、「壁」面を利用して描かれたイラスト展示場になっている。 通称イーストサイドギャラリー。カラフルに展開されるイラストを見て回った。
 
 最初に紹介するのが、「社会主義兄弟のキッス」と呼ばれるこの絵。 旧ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツ(ドイツ民主共和国)のホーネッカー議長が熱烈なキッスをしているシーンだ。
 
 以前この絵は想像上のものだと思っていた。しかし、実際にこんなシーンがあったと聞いた。ただ、いくらなんでもこれほど熱烈な形ではあるまいと思っていた。
  だが、まさにこの絵そのものの光景が展開されていたことが、今回フランクフルトで見つけた写真によって確認された。
 それが、この写真。フランクフルトで、ゲーテの家を訪問した後街を散策していると、ある店のショウウインドウにこの写真が張られていた。
 1979年、東ドイツ誕生30周年の式典が行われた時の光景だという。
 それでは、その他のイラストを見てゆこう。これは、破れた壁からどっと人がなだれ込んでくるところ。
 壁は1961年8月13日に建設され、1989年11月10日に破壊されたが、イラストの最初の展示は1962年になる。
 犠牲者の多かったベルナウアー通りに、冷戦時代を風刺するものや壁崩壊を喜ぶものなどが計24か国の芸術家118人によって描かれた。壁の撤去と共に消える運命だったが、保存の声が多くなり、オープンギャラリーとして残されることになった。
 東独の大衆車トラバントが壁を突き破って出てきた。
 これは有名なイラストらしい。大聖堂のプロジェクションマッピングでもこのイラストが登場していた。
 楽しみながらの壁壊し作業!?
 これは見ての通り、壁を飛び越えた。この人物、どこかオバマ大統領に似てる。
 日本の風景もあった。でも四重の塔?
 こちらはかなりのサイケ調。
 この人は間違いなくゴルバチョフ。
 壁の切れ目を見ると、実際の壁は こんなに薄く感じる。
 こうした壁も、一九八九年にようやく崩壊した。
 

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議会議事堂前広場の紅葉と首相官邸・・・ベルリン㉜

 連邦議会議事堂の見学の後、その前に広がる共和国広場を散策した。議事堂見学が朝だったので、広場散策も午前の温かい日差しが降り注いでいた。
 散策に入る前に、この議事堂にもナチスの傷跡がついていることを、書き残しておきたい。
 1933年2月27日、議事堂が放火されるという事件が起き、青銅の円蓋屋根が焼け落ちた。
 この年は、ヒトラー政権が樹立された年。翌28日すぐさま「国民と国家の防衛のための大統領緊急命令」が発効された。
 大統領に超法規的に何でもできる権限を与えるもので、ヒトラー大統領は次々と自らの政敵を根絶やしにする政策を打ち出した。
 具体的には、ナチスはこの放火事件が共産党による仕業だとして同党弾圧の口実にした。強圧支配がこの事件を機に始まったのだった。
 さあ、散策に入ろう。まず最初に目についたのは、地下鉄駅から階段を上がって地上に出た瞬間に目に飛び込んだのが、この深紅の樹木だった。
 そして、。秋の日差しを受けて鮮やかな紅葉を見せていたのが広場の木々。
 青空との対比で、目が痛くなるほどの素晴らしいコントラストが展開される。
 ドイツの落葉樹もみごとに紅くなるものだ、などと変なところに感心したりしている。
 中にはもう落葉も始まっていて、地面もオレンジに染まる。
 すぐ先には噴水があり、
 そこに連邦首相府の建物があった。メルケル首相の執務する場所だ。
 その形や白さなどから、洗濯機というニックネームが付けられているという。
 この地区周辺はシュプレー川沿い再開発の要となる地域で、これからもさらに新しい建物などが建設される予定という。
 もう一度真っ赤な紅葉をじっくり眺めてから、広場を後にした。

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超現代!ガラス製の議会議事堂に昇る・・・ベルリン㉛

 予約していたドイツ連邦議会議事堂の見学に出かけた。見学は無料だが、申し込みが必要。日本出発前にネットで予約。送られた確認票とパスポート持参で議事堂に向かった。
 入場は、議事堂の右脇にあるプレハブのような建物に集合し、本人確認の後グループ毎に引率されていく。
 この議事堂、そもそもは1871年にドイツ帝国が誕生、それにふさわしい議事堂建設をと国際コンペが実施され、1894年に鉄骨製のドームを戴くネオバロック様式の議事堂が完成した。 しかし、第二次世界大戦の敗戦で首都はベルリンからボンに移って、建物も放置状態が続いた。
 だが、1989年の壁崩壊によって首都がベルリンに復帰することになり、議事堂の修復が始まった。
 設計者はイギリスの建築家ノーマン・フォスター。元の屋根に倣ってドーム式の屋根が築かれたが、今度はガラス製という斬新なものとなった。
 エレベーターでドーム入り口まで着くと、あとは自由行動になる。ドームは中心に円錐を逆立ちさせたようなガラス製の円柱があり、まるで宇宙へ飛び立つロケットさながらの超現代的な造形。
 ガラスドームの円の側面に渡された歩行者用のらせん状スロープを上って頂上を目指す。
 あっという間に頂上付近に到着した。
 周囲は360度見渡し放題だ。
 見下ろすと、こんな具合。あくまでもシャープで現代的な造りだ。
 真下はこんな風。この「芯」の部分が光を反射させて 直下にある本会議場を明るくする機能と通風機能を備えている そうだ。
 アップしてみた。この下に会議場がある。
 ドームから外に出た。半円形のドームが青空に映える。
 
 直径40m、高さ24m、360枚の鏡、400トンのガラスを鉄鋼製の放物線状
を描くフレームが支えている。
 ベルリン中央駅も間近かに見える。
 ソニーセンターの屋根はまさに富士山の形をしていることが、ここからだと一目瞭然だ。
 ベルリン大聖堂のクーポラは、朝日を浴びて逆光になってしまった。
 ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)は遠くに小さく見えていた。
 見晴らし台のような小さめの建築物の上にドイツ国旗 。
 ガラスドームには何重にも異なった角度で鏡が取り付けられているため、さまざまに変化した風景が映りこむ。
 らせん階段を下りて振り返って見上げると、ガラス板に自分の顔が映りこんでいた。

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71年前の今日、ヒトラーは自ら命を絶った・・・ベルリン㉚

 ブランデンブルク門のあるパリ広場から南に延びるヴィルヘルム通りと、東西に延びるフォス通りの交差する角地。ここは今中華料理店になっている。
 だが、第二次世界大戦時にはここが、ホロコーストの実施を発令し、世界大戦を引き起こして20世紀の世界史を書き換えてしまう恐怖の発信源となった、ナチスの新総統府があった場所だ。
新総統府は1937年から39年にかけてヒトラーが建設を命じた。
 巨大な建物は内部に長さ146mもある鏡のギャラリーまであったという。その長さはヴェルサイユ宮殿の鏡の間より50mも長いものだった。
 総統執務室はその奥に位置し、長い長いギャラリーを通り抜けてようやく到達するという、神秘性の強調を意図した造りとなっていた。
 また、この建物の地下には戦争末期総統司令部となった地下壕が造られていた。
 地下施設は上下2階に分かれ、18の部屋は鉄のドアと隔壁で仕切られていた。
 天井の高さ2.8m周囲の壁の厚さ2.2mという堅固な造り。当初は防空壕だったが次第に地下司令部へと様変わりしていった。
 18の部屋のうち会議室などの共有部分以外は、ヒトラーと愛人のエバ・ブラウンが6部屋を使い、私設秘書、広報大臣ゲッペルス一家らの部屋があった。
 戦争の最終盤1945年4月には、ヒトラーはこの地下壕にこもりきりとなる。
 
4月20日  ヒトラー56歳の誕生日は、この地下壕で迎えることになった。その日、ヒトラーユーゲントの少年たちに鉄十字勲章を授けるために、久しぶりに地上に出て、焼け落ちた官邸を見回ったが、それが、生きて地上に出た最終になった。
4月28日  前日から地下壕に合流していたエバ・ブラウンとの結婚式。翌29日未明までかかった。立ち会ったのはゲッペルス夫妻ら8人の側近だけだった。
 
そして4月30日  午後3時30分頃、エバは毒薬を飲み、ヒトラーはピストルを右のこめかみに当てて引き金を引いた。二人の死体は官邸の庭に出されて、3時間にわたって焼かれた。後々遺体がさらし物にされないよう焼却を指示していたのだった。
5月2日  ソ連軍が現場到着。兵士によって黒焦げの人体の一部らしきものが、庭で発見されたという。
 新総統府跡の近くの駐車場に、ひっそりと看板が立っている。
 ここが、あのヒトラーが命を絶った地下壕跡だ。民間のアパートに挟まれた、何の変哲もない駐車場空き地。
 たまたま、地元ガイドによって引率されたグループが、地下壕の位置を示した看板を見ていた。
 
 戦後、ドイツ国家としてもこの地がネオナチなどの活動家によって「聖地」といった形になることを恐れてか、全く具体的な表示はしてこなかった。また、地下壕の現状がどうなっているのかについての情報も公開されていない。
 ただ、2006年になって、ようやく地下壕の位置を示す看板が立てられ、このように個別のガイドによる案内が時折訪れるだけだ。
 

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終戦から60年後に造られたホロコースト記念碑・・・ベルリン㉙

 ブランデンブルク門から約100m、ベルリンの一等地エバート通りの広大な敷地に、様々な高さの立体が並んでいる。
 2005年5月、アメリカの建築家ピーター・アイゼンマンによって造られた壮大なモニュメントは9000㎡という広がりを持つ。
 そこにあるのは2700の石柱。まるで座椅子のような地面すれすれの高さから、
 5m近い見上げるような柱もある。これは「殺害されたヨーロッパユダヤ人のための記念碑」。通称ホロコースト記念碑だ。
 整然と並ぶ石柱の間を歩いた。あるところでは降り注ぐ秋の陽光にまぶしく照らされ、
 またあるところでは石柱が造る暗い影の深さに飲み込まれそうになる。
 墓石の渦にも見える石柱のさざ波の狭間を歩きながら、600万人ともいわれる第二次世界大戦時の犠牲者たちの無念の叫びが、石の森中に響き渡る錯覚に襲われた。
 この記念碑建設の運動を起こしたのは、女性ジャーナリスト、リア・ロッシュ。戦後43年経った1988年のことだった。ともすると記憶に薄れがちになる過去の過ちを忘れぬため、新たな記念碑を創ろうと市民や行政に向けて呼びかけた。
 ただ、その翌年の「壁」の崩壊、東西ドイツの統一という大事件が起きて、構想は中断していたが、10年後に改めて機運が盛り上がり、最終的には2760万ユーロという巨額を投じての完成となった。
 首都の中心部に自らの国が犯した歴史の暗部を白日の下にさらし続けることを選んだ国民の決意は、決して生易しいものではなかったのではないだろうか。
 それに驚くことは、こうしたホロコースト関連の諸施設のほとんどは全く料金を取らない、無料での開放がなされているということだ。
 

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カイザーヴィルヘルム新教会の深く青いステンドグラス・・・ベルリン㉘

 新教会は、入り口から一歩中に入ると一気に‟青の洞窟への潜入”の感覚に襲われた。
 中央奥に黄金のキリスト像があり、その周囲はすべて深い青のステンドグラスで囲まれている。
 その数実に2万枚。まさに海の底に沈みこんでしまったかのように感じさせる密な空間だ。
 しばし椅子に座って堂内を見渡した。1961年の建造ということで、形態はこれまで見てきたゴシックやバロックといった建築と比べると、すっきりした構造だ。
 だが、その簡潔な形ゆえに、色彩の印象が一層強烈に迫るのかもしれない。
 主祭壇とは別に後方に小さなキリスト像もあった。
 床にもカラフルな円の模様が施されている。
 ステンドグラスをもう少しアップしてみよう。それぞれの一片ごとに線状の模様があり、
 所々に青以外の色彩がちりばめられている。
 赤や黄やピンク。
 いつかバルセロナのグエル公園で、砕いたセラミックのかけらを組み合わせて造られたベンチの模様を見たことがあった。あのガウディの作品との共通性を思わせるようなステンドグラスだ。
 しっかり‟深い海底”の滞在を楽しんで、教会を後にした。
 
 ただ、街を歩いていると美しいものばかりに出会うとは限らない。ツオー駅の周辺では路上で仮眠をとる労務者風の人たちを多数見かけた。彼らはドイツ人というより中東やアフリカからやってきた難民かも。
 
 混沌としたシリア情勢などを背景に増え続ける流入難民は大きな社会問題になっている。ずっと難民受け入れには寛容な態度をとり続けてきたメルケル首相も、昨年末のケルンでの暴行事件などから、制限の方向に舵を切り始めており、難しい局面に差し掛かっているようだ。
 

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«旧教会のモザイク画にルイーゼ王妃を見つけた・・・ベルリン㉗